The Quality of Life Depends upon the Quantity of the Sugar.
Sujiです。こんにちは。
カリフォルニアは日曜日の午前4時です。
5月22日が新月だったので、ドクター(夫、アメリカ人)と
瞑想しました。さすがに北カリフォルニアの北にあるこの街でも
暑くなってきていて、いくら風が強いとはいえ、昼間から、暖炉に薪をくべて
瞑想するのは暑いかしらと思ったのですが、
家の中は涼しい(私には寒いくらいだった)ので
無事、終了。
二人で、すっきりした気分に。
まだまだ日本語訳が残っていて、それをある程度、終わらせてから、午後8時には就寝。
そして、明晰夢(LUCID DREAMING)が訪れました。
それがこのタイトル。和訳すると
「人生の質は砂糖の量による。」
私はよくダイエットにも話が行くのですが、
昨年、足を骨折して以来、足の痛みをいつ感じるかというのを
チェックしていて、気づいたことがあるのです。
というのは、私は骨折したときでも、ほとんど、痛みがなかった。
それは病院ですべてのアメリカ人が驚くほど、全然痛みがなかったのです。
それはそのあとずっと私にとっては大きな謎でした。
そして、いまだになぜなのかわからない。
ただ、その後、自分で買い物にいけなかったこともあり、
食事が極端に変わったんですね。
ドクター(夫、アメリカ人)が買ってきたものを食べざるをえない。
そうやって完治して、今年から外でのバイトを半ば無理矢理
はじめることにしたんです。
どうして無理矢理というかというと、
私は自分から身体を動かしに行くタイプの人間ではないからです。
本当に放っておいたら、足が退化してしまうのではないかというほど、
ずっと座って、本を読んだり、文章を書いたり、映像を編集したりして、
一日、家の中にいて、全然平気なタイプなんです。基本的には。
だから今までの人生でも無理矢理、パーソナルトレーナーを頼んで、
ジムに通ったり、毎週火曜日は一時間、エクササイズ好きな友人と歩いたり、
してきた人生でした。
そういう私が骨折をして、治ったあと、あるいは治り始めるときでも、
実際に、もっと外出しなくなるのは明白で、
何か外出して足を使ういいエクスキューズはないか
夢の中で探していたところ、
外でバイトの話が降ってわいてきた、、、という。
一日に4時間くらいしかバイトしないんですけれども、最初は
ものすごく疲れて、、、。
それはもちろん、骨折が治りかけているというのもあったかもしれないんですが
年齢もあったかもしれない。
そして、運動不足も。
それで、バイトしては眠る毎日がしばらく続いたんです。
家では全然感じなかった足の痛みも疲れのせいか、感じました。
最初は一つバイトしていて、それでは足りないと思って、
二つにしたとき、徐々にやっていったので、
一日のうち、一つ目のバイトでは以前は一日かけないと
回復しなかった全身疲労が
一ヶ月後にはじめた二つ目の仕事の時は、間で2時間くらい休むこと(完全に昼寝をするんですが)で、二つ目の仕事に支障を来さないことがわかりました。
そして、その合間に、ヘビーな食事をすると、体調が崩れることもわかりました。
そしてさらに、休憩で食べる甘いものが足の痛みを助長することに
気がつきました。なぜなら、ご飯を飛ばして、甘いものですますことも少なくなかったので。
その甘いものがピーナツバターだと大丈夫なんですが、
チョコ(特にハーシーのようなアメリカの甘いチョコ)だとダメだということもわかりました。
これは太るとかを考える以前に、足が痛いので、甘いものが私の身体にはよくないんだと
自覚させられました。たぶん、ホネに良くないんだと。
土星ちゃん、ありがとう!笑(この一文は星に詳しい人にだけわかる)
そういう過去の経験があったのですが、
しばらくまた忘れて、最近は甘いものにどっぷり浸からざるをえない
生活を続けてました。
そこへ一昨日、突然、昔、仲の良かったアメリカ人が乳がんだったことを知ったのです。
その人は、昔のママ友でした。メグ・ライアンに似た、けれども遙かにもっとキレイな超絶美人ですが、アイビーリーグで知り合った、やはりかなりハンサムな夫との間に、
ものすごくかわいい男の子一人だけをもうけて、全エネルギーをその息子に注いでいるんだなという感じの人でした。一家は一時期、六本木に住んでいたこともあり、そこは私たちにとっては身近な場所であったので、とても仲が良かったんです。それに日本語をかなりよく知っているというのもありました。
でも、そのうち、そのハンサムな(しかもビリオネアなんですが)夫は、出張で、東京にちょくちょく戻っていることがわかりました。そこで、日本人と数え切れないほど、浮気をしていて、それを邪魔するためなのか、携帯で、常に夫に国際電話をかけていました。
夫の仕事の関係もあり、その家族は東京以外でも、ブラジルや、フランスや中国も旅行していました。その美人の奥様は非の打ち所のない恵まれた人なのに、本当にストレスの多い生活をしていました。車で追突されたり、落馬を何回もしたり。そのあと、子供が高校になる頃、進学に有利な東海岸に引っ越していきました。
ですからおよそ、10年くらい、会ってなかったんですが、またまた偶然、彼女の息子の写真を見たんです。ものすごくかわいかった男の子の10年後の顔。
「うそでしょ?」というほど、チャーミングじゃない顔。
もっといってしまうと、醜い顔だった。
どうしてこんなことになったんだろうと考えているうちに、一日過ぎて新月の瞑想をして、明晰夢を見た私でした。
そしてそこからさらに連想で、やはり昔のママ友のフランス人の奥様が3年前に乳がんになったことを思い出しました。彼女はとてもいい人で、キレイなパリジャンヌでした。
よくフランスのお菓子を作ってくれたり、DINNERで行き来してました。彼女は
ある時期、うちの目の前のうちに住んでいて、私が四十肩で何もできなかったとき、カンクン君をカープールで送り迎えしてくれていたこともありました。
彼女には、2018年の秋に会って、乳がんだったことを知りました。FACEBOOKではいつも元気そうだったので、気づきませんでしたが、なんとなく年取ったかなとは感じていました。(でも誰でも年は取るからね。)けれども、実際に会ったときには、乳がんで戦うということがどれだけ大変なことなのかを実感せざるをえないほどのダメージをじかに感じました。
明晰夢というのは、経験したことの時間も気持ちも全部、同じ次元に持ってきて、ある一定の真実を突きつけてくるので、いつも驚くのです。
夢の中で、こういうエピソードが文章で書くと長いのですが、夢の中ではイメージなので、
一瞬で、全部まとまって出てきます。だから夢日記を忘れないうちに書くのは大変です。
文章で書くには脈絡も必要なんですが、そこのつじつま合わせも一仕事ですね。笑
今日のブログは長いし、うまく話としてまとまっていないかもしれないですが、
明晰夢(LUCID DREAMING)のジャーナルとして、記録しておこうと思います。
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